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おいしい贈り物

2012/01/17 21:47
群馬のご実家から、大きなイチゴが送られてきました!!
とっても大きなイチゴなんです!!
そして、甘くておいしいっ
いつもお心遣いをいただきまして、ありがとうございます。
さっそくいただきました。
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久々にアニメを見ました 吉康

2012/01/06 16:39
激しく今更ですが、やっと「魔法少女まどか・マギカ」を全話見終わりました。

私はあまりアニメには詳しくなくて、宮崎駿監督作品と、エヴァンゲリヲンくらいしか見たことがなかったのですが、まどかマギカも本当に凄い作品ですね。感動しました。今のテレビアニメって、みんなこんなにレベルが高いのでしょうか?

私はジャンプでずっと、「まずキャラクターを作り、その魅力を引き出すエピソードと設定を作る」という、手塚治虫先生以来定番のストーリーテリング法を学んできましたが、まどかマギカは小池一夫先生の仰っていた通り、それとは全く逆の作り方をしていて驚きました。

すなわち、まず世界観を綿密に構築し、伏線を張り巡らせた上で、「魔法少女モノ」というお約束の形式を逆手に取り、類型化したキャラクターを配置する、という作り方です。想像もしていなかった、メタ的なストーリー構成法に驚きました。

ところで、「マギカ」MAGICAは、ラテン語で「魔法」を意味する形容詞「magicus」の女性形ですが、その語源「MAGI」は、もともとアラビア・ペルシア系文化圏で宗教儀礼を司っていた祭司の階級の呼称でした。

宗教儀礼を司る祭祀MAGIの重要なお仕事の一つは、かつての日本の陰陽師などと同じく、星を読み、暦と時を司り、ひいては数学を司ることでした。

古代エジプト文明とギリシャ文明で発達した古典数学(ユークリッド幾何学)は、アラビア世界で、アラビア数字によってさらに発達し(だから私たちは、今でもアラビア数字を使っています)、それが後にヨーロッパのキリスト教文化圏に逆輸入され、さらに発達しました。

ですから、キリストが生まれた時に、星に導かれて礼拝した三博士を「MAGI」と呼ぶのは、キリスト生誕時点前後で、アラビアの数学がキリスト教文化圏に伝わったことを意味しています。

(ちなみに、三博士MAGIのそれぞれの名前は、バルタザール、メルキオール、カスパールといって、これはエヴァンゲリヲンでもメインコンピュータの名前に使われていました)

その後、数学や天文学など、キリスト教典外の知識を持つものをMAGIと呼ぶようになりましたが、英語の魔法「MAGIC」の語源になったように、次第にMAGIは異端としてキリスト教世界から弾圧されるようになりました。なかでも中世の魔女狩りは熾烈を極め、多くの「魔女」が火炙りになりました。

キリスト教文化圏では、今でも土葬が主流ですが、これはキリスト教が古代エジプト文明の影響を受け、「死後の復活」のために身体を保存する必要があるという考えを持っていたためです。

エジプトは乾燥していたため、ミイラづくりが盛んでしたが、ヨーロッパではミイラづくりは不可能で、そのためにペストの流行など、土葬ゆえの疫病の流行を抑えられなかった歴史もあります。

しかし、そうまでして死後の復活のため、土葬にこだわっていたのに、「魔女」に限ってはわざわざ火あぶりにしたのは、もちろん死後の復活を防ぐため、そして「存在自体を無かったことにするため」でした。

願いを叶えるため、悪魔と魂の契約を結んだものは魔女となり、それゆえいずれその存在は「無かったこと」にされてしまう・・・という歴史的な文脈を、まどかマギカは忠実になぞっているのだと思います。

ちなみに、キリスト教によって迫害されていた魔女(マギカ)も、年に一度、春先に集まり、新春を祝う祭りを開いていました。それが「ヴァルプルギスの夜」、全ての魔力が集結する日です。今でも北欧や中欧で、その風習は残っています。

ところで、ヨーロッパの歴史ではその後も、「それでも地球は動く」といったガリレオ・ガリレイの例を出すまでもなく、キリスト教にはない知識や数学・天文学的真理を唱えた者は、激しい異端審問に晒され、運が悪ければ処刑されてしまいました。

しかし、十字軍の遠征や印刷術、航海術の発達により、イスラム文化やかつてのギリシャ文明、その他の知識が流入してきたおかげで、閉鎖的だった中世キリスト教社会にもルネサンスが訪れました。

数学や科学はますます発達し、ヨーロッパ文明内でも、次第に多様な考え方が許されるようになっていきました。しかし、19世紀の啓蒙主義や、マルクス主義、そしてサルトルの実存主義までは、古来のキリスト教的歴史観、

つまり、「人間は未開の、未熟な状態から、次第に高度な、文明的な段階へと発達する」「混沌から秩序へ、無知から知へ、悪から善へ」という、直線的な歴史観に支配されていたように思えます。

これは新プラトン主義以来、ヨーロッパ文明の思考回路の背骨であり、理想主義・現実主義何れにも共通する理念であり、ヨーロッパ文明の、「ヨーロッパの理性こそ至高」という根本概念の源泉です。

デカルトの「方法序説」の有名な一節、「われ思う故に我あり(ego cogito, ergo sum)」は、ヨーロッパ文明を支える「理性」への信奉を最もよく表した一文であり、

それは元をたどれば、ユークリッド幾何学などの数学が「絶対真理」であると信じて疑わなかった、当時のヨーロッパの人々の一般的な認識だったと思います。

こうした認識は、ヨーロッパ文明以外の文明への蔑視を産み、アメリカ大陸での先住民の虐殺や、その後の各地への植民地支配、奴隷制度などの、歴史の闇を生みました。

しかし、そんな「ヨーロッパ文明こそ最も発達した文明」という幻想も、20世紀に入って完璧に否定されることになります。その予兆は、フランス革命の頃や、それ以前から有りました。

有名な「ガロア理論」に始まる、群、環、体など、メタ数学の発達が、古来より唯一の真理とされていたユークリッド幾何学の唯一性を否定し、球面幾何学、双曲線幾何学など、それぞれ矛盾のない、様々な「真理の」幾何学を生み出してしまったのです。

数学の世界では、「無矛盾性は存在の礎」ですから、ユークリッド幾何学以外の、全ての幾何学も確実に「存在する」ことになり、ユークリッド幾何学こそ唯一の真理という前提にしていたそれまでのヨーロッパ文明の夢想は破壊されました。

さらに、サルトルと論争したクロード・レヴィ・ストロースが唱えた「構造主義」は、それまでヨーロッパ人が「未開人」として蔑んでいた人々にも、表層は違えど同じ「理性」があることを、数学的に証明しました。

私は大学生の頃、構造主義を通じて地球各地のインセスト・タブーや親族の基本構造、さらにインドやそのほかの各地に伝わる神話、それが伝播した「おとぎ話」の共通構造の勉強をしていました。

インドの仏教説話「ジャータカ」等が、日本に伝わり「今昔物語」や「宇治拾遺物語」になる上で、保存された構造は何か・・・等を読み比べ、それをマンガのストーリーテリングに応用しようとしていたのですが、まどかマギカはいわばその方法論を、突き詰めた形で作られたように思えてなりません。

ちなみに、世界各地に伝わる様々な神話の構造を比較研究した、「千の顔をもつ英雄」という本がありますが、それを読んだアメリカの大学生が、「アメリカには神話がない。新たな神話を作らねばならない」と考え、

当時アポロ計画などで宇宙物語が流行していたので、宇宙物語に神話の構造を当てはめて作られたのが「スターウォーズ・サーガ」、当時の大学生の名がジョージ・ルーカス、というのは有名な話だと思います。

だから、スターウォーズの冒頭には、まず「遠い昔、遥か彼方の銀河系で・・・」という一文が入ります。あれは神話や昔話の冒頭、「いずれの御時にか・・・」「今は昔・・・」という出だしに対応しているわけです。スターウォーズはあくまでも神話(サーガ)であり、物語(ストーリー)ではないわけです。


話がズレましたが、構造主義により、いわば、「人類皆平等」ということが、数学的にも証明されたことになるわけですが、それはすなわち「混沌から秩序へ、無知から知へ、悪から善へ」という、ヨーロッパの直線的な歴史観が、ただの幻想に過ぎなかったことを意味します。

マルクスが言うような「革命」など起こらない。サルトルが言うような「被投性」も「歴史への参加」も起こりえない。すべての文化の価値は平等であり、優劣も進歩もない。あるのは変化だけ。

そもそも、マルクスに端を発する社会主義や共産主義は、人間の愚かさを計算に入れていないため、安易に独裁主義に陥りやすく、悉く失敗しています。人間は、理想主義者の考えているほど賢くないのだと思います。

人間の「愚かさ」はこれまでも、これからも変わらず、人間の「業」の一種としてあり続けるでしょう。

しかし、一方の資本主義も、現在危機に瀕しています。アメリカ型の資本主義社会の思考回路はプラグマティズムであり、元をたどればイギリスのロックなどの経験主義から派生しています。

私は数学が好きで、多くの数学者と同じく理想主義者なので、アメリカ型の資本主義も、実はあまり肌に合いません。それよりも、数学的に裏付けられた、構造主義的な考え方を愛します。

構造主義を、ニヒリズムだと批判する人々もいますが、従来の直線的な歴史観は、「ひとつの数学系は、その数学系の内部に、数学系自体の全てを証明する術を持たない」という、ゲーデルの不完全性定理によって、完全に止めを刺されたと私は理解しております。

さらに、様々な幾何学を統合するという意味も持って、ポアンカレによって作られた位相幾何学(トポロジー)の、サーストンの幾何化予想、いわゆるポアンカレ予想が、数年前、ロシアの数学者ペレリマン博士により、なんと微分幾何学の応用によって解かれたという事実も、皮肉な結果だと思います。

私は、今は絵を描いており、その前はジャンプで漫画を描いたりしていましたが、元々は、数学、物理学、天文学の専門に進むつもりでしたから、私の世界観、歴史観、哲学観は、全て数学を根拠としております。アインシュタインと同じく、私はスピノザの神を信じます。

アインシュタインの特殊相対性理論により、光には相対性がない、つまり「時間は一定・絶対ではない」ことが示され、さらに一般相対性理論により、時間と空間は同一の「時空」であることが示されました。

まどかマギカでも、時間遡行者は特別な能力として設定されていましたが、そもそも時間とはなんなのでしょうか。

時間とは何か、様々な説があることを私は知っていますが、「時間とはすなわち因果律のことである」という説に私は強く共感します。

すなわち、割れたお皿は元には戻らない。形あるものはいずれ消える。諸行無常、ギリシャ語ではパンタ・レイ(ヘラクレイトス)。本来この宇宙は、集合から拡散へ、秩序から無秩序へと動いており、その因果律こそが時間だ、という説は、宇宙膨張説とも合致するように思えます。

ただし、ヒュームの言うようにその因果律は不連続で、私たち人間の認識の錯覚に過ぎない、という考え方は、仏教思想にも非常に近く、そちらにも深く共感します。しかしヒュームの説は、因果律の存在そのものを否定するわけではないと考えています。

つまり、形あるものはいつか崩れるのが道理。もし神がいるのなら、いわばそれが神の意思。「形あるものは崩れる」という因果律こそが時間。

しかし、芸術家は、例えば画家や彫刻家は、いかに自分の作品が後世に残るか、無変化のままの状態を保つか、という部分に腐心します。これはあえて言えば、時間への挑戦、神への反逆です。

ですから、キリスト教も仏教も、はじめは偶像崇拝を禁じ、「描く」「作る」行為に否定的でした。今でもイスラム教やロシア正教は、偶像崇拝を禁じております。

イスラムの過激派タリバンが、バーミヤンの石仏を爆破したのも同じ理由からだと思います。古くて貴重な仏像「なのに」破壊したのではなく、古くて貴重な仏像「だから」破壊したのです。

彼らにとっては、あの仏像の存在自体が神への冒涜だったわけですから、その思考回路を理解しなければ、「ただの西欧世界への嫌がらせ」「権力の見せつけ」「イスラム勢力の誇示」という理解のみにとどまっていては、永遠に人類は分かり合えないと思います。

とにかく、時間に伴う劣化に抵抗し、時間を超越する「美」を作り出そうとする芸術家は、異能の者であり、神への冒涜者。それゆえに歴史的にも、権力者によって保護される事も有った反面、一般社会からははじき出され、被差別民として扱われても居ました。

村上隆さんが、ご自分のことを「川辺の民」とおっしゃっているのも、そうした文脈でのことではないかと、僭越ながら今の私は想像しております。

しかし、この世界には、絵や彫刻などよりももっとはるかに、ずっと時間に逆らい、因果律に反した存在があります。それは「生命」です。

なぜこの宇宙に生命が存在するのか、最も不可解で大きな謎の一つです。

秩序から無秩序へ、集合から拡散へと向かう宇宙では、理論上、生命のような統合され、意思を持った存在が自然に誕生するはずがありません。なぜ生命が生まれたのか?

女性の子宮の中で、卵細胞と精子が出会い、分裂し、次第に人の形を成していく様は、まるで子宮の中だけ、時間が逆行しているようにも見えます。

もちろん、その生命も誕生し、成長した暁には老いを迎え、いつか無に帰すわけですが、その前に再び自らのコピーを残す事で、因果律に完全に反逆しています。

因果律を神と捉えれば、生命自体が罪であり、人生は罰である。全ての人は生まれながらに原罪を負っている。唯一原罪を負わないのは、卵細胞と精子が出会わないまま、直接「神の御意思」によって生まれたキリストだけだ・・・というのが、キリスト教の考え方です。

また、繰り返される生と死、繰り返される罪と罰、果てしない輪廻から抜け出し、因果律の輪から解脱しよう、と考えるのが仏教です(そもそも、「因果」は仏教用語です)。

ですから、「因果律を組み替える事で、自らを高次元の宇宙の概念へと昇華する」というまどかマギカの物語は、非常に仏教的な世界観に見えました。シナリオを一つ一つ遂行する、という、直線的な、キリスト教的な世界観に基づいて作られているエヴァンゲリヲンとはとても対称的に思えます。

それはともかく、思想的、哲学的、歴史的な文脈を織り込みつつ、エンタテイメントとして成立させた「まどかマギカ」は凄いアニメだと思いました。私もいつか、こんな作品を作れるようになりたいです。

ところで、この世界を支配する数学は、黄金比、フラクタル、ゼータ関数など、様々な形で私達の身の回りに現れます。

特に、相対性理論と、量子力学の不確定性原理との矛盾を解消するための大統一理論、その最有力候補であるという超紐理論が、非可換幾何学を通じてゼータと結びついているのは、とても興味深いです。

クレイ数学研究所によるミレニアム問題の中でも、最も重要といわれる「リーマン予想」が証明される日は近いのでしょうか。もしリーマン予想が証明されれば、インターネットもクレジットカードも使えなくなり、現代社会は崩壊しますが、それでも私はリーマン予想はきっと正しいと思っています。

そしてリーマン予想が証明されれば、P対NP問題もきっと解決するでしょう。そうすれば、いつか大統一理論が完成し、生命の謎が解ける日が来るのかもしれません。とにかく、現在は全ての学問が垣根を超え、統一される方向に動いているように思えます。

芸術もまた同じです。日本画、洋画、現代美術という区分は、すでに意味を成さなくなりつつあると思います。そして、その原動力となっているのは、数学だと私は確信しています。

かつてユークリッド幾何学の発達が遠近法を生み出したように、そして非ユークリッド幾何学の発達がキュビズムを生み出したように、数学と人間の思考、そして芸術は密接に結びついています。なぜなら数学は(特に現在のメタ数学は)純粋抽象学であり、全ての思想の根源だからです。

人間の文化が一本の木だとするなら、数学こそが土であり、根。そして哲学が幹であり、そこから歴史や科学や宗教などの様々な枝が絡み合い、そして先端に、芸術という花が咲きます。綺麗な花を咲かせたかったら、まず土を耕し、深く根を下ろすようにしなければなりません。

いい土を作ることなく、綺麗な花を咲かせようとするのは無謀だと思います。

マンガでも絵でも何でも、芸術を志す人の中に、数学を軽視する人が居る事が、私には理解できません。何も勉強せずにいい作品を作れる人は天才でしょうが、私は残念ながら天才ではないので、これからも数学を含め、様々な事柄を勉強しながら作品作りを志そうと思います。

「どんなに恐ろしい武器を持っても、たくさんのかわいそうなロボットを操っても、土から離れては生きられないのよ!」天空の城ラピュタより シータの言葉

ちなみに天空の城ラピュタのヒロイン「シータ」の名前は、インドの神話「ラーマヤーナ」のヒロイン「シーター」が元です。宮崎駿監督も神話をメチャクチャ勉強している事が、作品を拝見しているとわかります。私も諦めずに頑張ろうと思います。

吉康
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2012年

2012/01/01 21:21
今年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

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今年は年女です。
何かいい事ありますように♪
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